落合手工マンドリンは著名な先生方に推薦を頂いております。



−正確な音程、美しい音色を生み出す−

落合忠男の作るマンドリンの長所は、価格の高低にとらわれず、一作一作に熱意を傾けるところにある。落合工房から生まれるプレクトラム楽器は、ひとつの例外もなく全て彼の執拗なまでの点検を得て、需用者一人一人の手もとに届けられると聞く。
楽器の良否はまず最初の触手で決まる。手にした時”抵抗のない楽器”言うまでもなく正確な音程、美しい音色は楽器として欠くことの出来ない条件であるが抵抗を感じさせない楽器は”弾きやすい”と断言できる。
マンドリンは、とりつき易いが深く入ると”むずかしさ”を増す性質を持つ。この”弾きやすさ”という表現の裏には弦の張力の硬軟が含まれる。張弦の緊張度の少ない楽器はその”むずかしさ”を最少限に抑える。落合マンドリンはその点留意し”弾きやすさ”では定評がある。弾きにくい楽器からは決して佳い音楽は得られない。

落合のプレクトラム楽器を推薦するものである。
- 鈴木 静一

1901年3月16日、東京に生まれる。幼少の頃よりオルガンを覚え、また父親から謡曲を仕込まれる。初め声楽家を志し、イタリア人の声楽家アドルフォ・サルコリ氏に師事したが、師の奏でるギター・マンドリンに惹かれ、マンドリンを習うことになる。また作曲の才能も師によって認められ、以後独学に近い形で音楽理論を学ぶ。1936年(35歳)日本ビク ターに入社するまで、ギター、マンドリン奏者として、またマンドリンオーケストラ指揮者、作曲家として活躍する。
日本ビクター入社後は主に、藤原歌劇団の編曲、指揮を手がけ、さらに流行歌の作詞作曲でも活躍した。翌1937年に東宝に移り、1965年(64歳)旧友 小池正夫氏の死を悼み作曲したマンドリンオーケストラ曲「カンタータ・レクイエム」が契機となりマンドリン界に復帰する。その間400作品を超える映画音楽、および多くの演劇の音楽を作曲する。
1980年5月27日、永眠。79年の生涯を終える。
復帰後の創作活動は旧作の改訂増補を含め、死の直前まで精力的に行われ、従来のマンドリンオーケストラでは考えられなかったような大規模な作品を次々に発表した。交響的大幻想曲「シルク ロード」をはじめとするその諸作および編曲作品は、今日の私たちマンドリン愛好家には無くてはならない貴重な財産である。



−世界的レベルの楽器だ−

最近、日本で製作されるさまざまのフレット楽器は、十年前のものと比較すると、格段と改善されています。これは、日本国内にマンドリン合奏が大変普及して、その愛好家が増え、よく響く、演奏し易い楽器が強く求められてきた事によると思います。

この要望に答えて落合忠男氏は、ここ数年間マンドリン系楽器の製作に全力をそそいで努力してこられましたが、遂に、本年発表された最高級マンドリンは、音量が豊かで、音色が明るく、今日までのものと比べて抜群のものということができます。しかも、その仕上げは極めて念入りであり、日本にも楽器として高く評価されてより世界的レベルのマンドリンが遂に完成されたことを心から嬉しく思いました。これだけよく響く楽器ならば独奏にも合奏にも充分の効果をあげてくれるでしょう。

遂に世界に誇れるマンドリンが製作されました
- 服部 正

1908年東京神田に生まれる。慶應義塾大学入学。慶應義塾マンドリンクラブに入部、同クラブの指揮者に推される。
オルケストラ・シンフォニカ・タケイ主催マンドリンオーケストラ曲コンコルソに応募した「叙情的風景」が入選。プロの道に進むきっかけとなる。
慶應義塾大学卒業後、菅原明郎氏に師事。1932年帝國音楽学校講師となる。
1933年管弦楽曲第1作「管弦楽の組曲」を山田耕筰指揮・日本交響楽団演奏にてNHKより放送。1935年初のオペラ「雁の渡る日」をNHKより発表。1936年時事新報社主催音楽コンクール、作曲部門で「西風にひらめく旗」が入賞。1937年コンセール・ポピュレールを結成、戦時下における我国クラシック音楽の大衆化に務める。1941年映画「次郎物語」の音楽監督を受け持ち、全編慶應義塾マンドリンクラブの演奏を流し、又、それを素材として組曲「次郎物語」を発表。1946年日本交響楽団の指揮、編曲を担当、NHKの数々の番組のテーマ音楽、ラジオ、テレビの連続ドラマの作曲家として大活躍。1953年国立音楽大学教授に就任。1955年青少年の為の国民オペラ「手古奈」を作曲。初演の年、公式記録だけでも200回以上上演され、世界的記録を作る。1956年音楽の大衆化の為、「広場のコンサート」を主催開始。100人以上の大編成のマンドリンオーケストラの為にミュージカルファンタジーを次々と発表。1962年全日本学生マンドリンオーケストラを率い、初のアメリカ演奏旅行。1964年慶應義塾マンドリンオーケストラを率い再度アメリカへ、その後も数年に渡りカリフォルニア諸都市を訪問演奏。1968年日本女子管弦楽団「グレース・ノーツ」を主宰。
1978年長年に亘る音楽芸術への貢献により、紫綬褒章を受章。1984年勲四等旭日小綬章受章。
2008年8月2日逝去。



−楽器の選択は自らの耳で−

私の見るところ我が国の愛好家は楽器に対しても名あるメーカー品に弱いという感じを受ける。音色、音量、バランス、そうしたものに対し、自身の眼と耳に自信を持って選び分ける力がもう出来ている筈である。また、一部に流行する古楽器に大金を投ずるよりは新製品の中から優れたものを選択する方がどれだけ将来の楽しみがあるかわからない。

私はマンドリンやギターのような撥弦楽器は接弦楽器に比べて楽器の寿命は短いという見方をしているので骨董的価値とは別に実用性に対しては、古楽器は将らない。私は実に多数のマンドリンを国内各地で聴いて、この考え方を確固なものにしたのである。伝統とか世評に迷うことなく自身の鑑識力に自信を以って臨むことである。

ここ数年の落合マンドリンの優秀さに私は初めて眼を瞠った。故なしとしないと思うに至った。
自らの眼と耳に自信を持つことである。
- 中野 二郎



−推すことに誇りが生まれる−

とくに日本が湿気が多くて困るというのは、海外から来る演奏家からよく聞く言葉である。私が落合マンドリンを推す理由のひとつはそこにある。しかも落合忠男は完成を期してカラーチェ製マンドリンばかりでなくマリオ・マチョッキ製マンドリンを解体し、分析して参考に供した。こうした努力に対してパリのフランソア・メニケッティが推賞を惜しまなかったし、来日したイタリアの名手ジュゼッペ・アネダも推んでアドバイスをしてくれた。こうした落合忠男の苦心と努力が実って、次第に販路を拡げてきたときいて、
私はその肩を持つ者の一人として、いよいよ肩身の広い思いをしている。

落合マンドリンを推すことに誇りを持てるようになったのが、うれしい。
- 高橋 功

1907年 仙台市に生まれる。
1932年 東北帝大独文科卒
1936年 京城帝大医学部卒、医博
1958年より66年まで、赤道アフリカ・ランパレネのシュヴァイツァー病院勤務
1968年 国際ギターコンクール審査員
1972年 東洋医大講師
日本ギタリスト協会名誉会長
2003年10月26日逝去



−豊かな音楽性を表現するのに適した楽器である−

私は、マンドリンという楽器は、取り付き易い面と、より高いものを求めると、克服しなければならない多くの問題を抱えている面との両面を持った楽器であると思います。それだけに、音楽的にも技術的にも、より高いレベルに到達すれば、様々な表情を表現することが出来る非常に表現力豊かな楽器でもあります。
その豊かな音楽性を表現するのに、落合大悟郎氏作のマンドリンはとても適した楽器であると言えます。落合氏のマンドリンは「正確な音程と表情豊かな美しい音色、そして豊かな音量とを兼ね備えた楽器である」と言うことが出来るからです。

楽器製作技術の進歩に伴って様々な表現が可能になった現在、納得のいく音楽・より深く楽しめる音楽を、マンドリンを通して奏でられるということは、とても楽しく素晴らしいことだと思います。
- 久保田 孝

1954年、明治大学附属明治中学校に入学と同時にマンドリン部へ入部。1968年、旧西独カールスルーエ音楽大学指揮科にて、アルテゥール・グリューバーに師事1972年、ウィーン音楽大学指揮科にて、ハンス・スワロフスキーに師事。72年、73年の両夏、スワロフスキー主宰の『指揮者のためのマイスターコース』に参加し、2年連続して最優秀の成績を修めた。
1974年帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団札幌交響楽団群馬交響楽団、新星日本交響楽団などを指揮。
マンドリンでは1976年以来7年間、青少年音楽祭、JMJコンサートでジュネス・ミュジカル・マンドリンオーケストラの指揮を務める。1993年、クボタ フィロマンドリーネン オルケスターを創立。マンドリンオーケストラの演奏活動に力を注ぐ。また、留学帰国直後より、KMA(Kubota Musik Akademie)を主宰し、後進の指導にあたっている。
2002年12月、ロシア・バラライカオーケストラの最高峰、オシポフ国立ロシア民族楽器オーケストラ初の外国人指揮者を務める。2004年4月(第5回)2006年(第6回)ロシア国際民族楽器演奏コンクール「北方杯」で撥弦楽器部門・2004年11月、第2回全ロシア・ロシア民族楽器指揮者コンクール・2007年9月、ギリシャ開催のEGMA(ヨーロッパ・ギター・マンドリン協会)主催ヨーロッパマンドリンコンクールでそれぞれ審査員を務める。
日本においても2005年、第1回大阪国際マンドリンコンクール審査委員長・2006年、第1回大阪国際マンドリンコンクール(作曲部門)・前橋マンドリンフェスタ2006マンドリン四重奏コンクール・2007年、日本マンドリン室内楽コンクール2007の審査員を務めた。また、日本マンドリン作曲コンクールは第1回から、日本マンドリン独奏コンクールは第11回から現在まで連続して審査員を務めている。
日本音楽著作権協会(JASRAC)正会員、日本マンドリン連盟(JMU)顧問。クボタ フィロマンドリーネン オルケスター・上智大学ソフィアマンドリーノ・明治高校マンドリン部・同部OB孝友会オーケストラ・山脇高校マンドリンクラブ・玉川聖学院ギター・マンドリン部音楽監督。


公式ホームページ:http://tanz-suite.com/



−プレイヤーの欲求を満たし、安心感を与える−

私が落合マンドリンに出会ってから30年以上が経ちました。その間私の傍らには常に落合マンドリンがありました。
手に取ると先ず、美しさに気付きます。余分な装飾はなくとも「木」本来の上品な美しさを引き出す、実にきめ細かい丁寧な仕上がりは、落合大悟朗氏の「木」に対するこだわりを感じずにはいられません。それは外観だけでなく、音からも十分に感じられます。良質な木材は密度の高い芯のある音を生み、豊かな音量はピアニッシモからフォルティッシモまで自由に歌い切ることが可能です。低音から高音までバラつきのないバランスの良さはあらゆる表現をも実現してくれます。マンドリニストにとって、手に体になじむ抜群の弾きやすさも魅力です。
落合氏の職人としての研究心と誠意が込められたマンドリンは、ソロやアンサンブル演奏はもちろん、オーケストラとの共演やスタジオ収録など、様々な場面でプレイヤーの欲求を満たし、安心感を与えてくれます。

落合マンドリンは、弦楽器におけるマンドリンの地位を高める担い手であると確信します。
- 青山 忠

1982年、中央大学在学中に日本マンドリン独奏コンクール第2位入賞。1983年、NHK洋楽オーディション合格。NHK-FM「午後のリサイタル」出演。
1997年、ロシアの名指揮者スヴェトラーノフ指揮のNHK交響楽団とマーラーの交響曲第7番「夜の歌」・東京交響楽団東京フィルハーモニー交響楽団日本フィルハーモニー交響楽団と共演。また、藤原歌劇団二期会英国ロイヤルバレエ団ミラノスカラ座Kバレエカンパニーの公演に参加。
NHK「街道をゆく」・同教育「虹色定期便」・TBSドラマ「理想の結婚」・同「夢のカリフォルニア」のバックミュージックを演奏。2007年、行定勲監督作品「クローズド・ノート」で沢尻エリカはじめ出演者のマンドリン演奏を指導し、劇中音楽を担当。また、2009年公開の映画「スノープリンス 禁じられた恋のメロディ」で山梨鐐平作曲の劇中音楽を担当。2013年公開フィレンツェ音楽祭観客賞受賞映画「奇跡のリンゴ」(監督 中村義洋・音楽 久石譲)にてマンドリン演奏。同年公開のジブリ映画「風立ちぬ」(監督 宮崎駿・音楽 久石譲)でバラライカとマンドリンを演奏。2016年、NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の劇中音楽担当。
青山マンドリン四重奏を主宰しポピュラーな曲目を中心としたプログラムで日本全国・中国・台湾・韓国でコンサートを開催し国内外でマンドリンの素晴しさを伝えている。
これまでに多数のCDをリリース。マンドリンオーケストラ・マンドリンアンサンブルの指導や楽譜の出版にも力を注いでいる。

公式ホームページ:http://aoya-ma-ndolin.p2.bindsite.jp/ 


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